2012年10月30日火曜日

【宗義】空手少年とイタリアンもんじゃ焼き【夢日記】

※この文章には一部グロテスクな表現、不適切な内容が含まれていますが、あくまで夢日記ですので、実際の出来事とは一切関係はありません。





何かを焼いたような懐かしい匂いがたちこめていた。まるで街全体が鰹節みたいに燻されているような香ばしい匂いだった。


僕は母方の実家のある種子島に帰ってきているようだった。


日本昔話にでも出て来そうなジャパニーズログハウスと言わんばかりの木造住宅の居間に少年は居た。


なぜ僕がここに居て、しかも空手着を来てあまつさえ見知らぬ少年と相対しているのかは想像にも及ばなかったが、僕は少年に連れられ、ジャパニーズログハウスに併設されている立ち飲み屋に向かった。



少年は緑帯で、僕は白帯だった。



立ち飲み屋は少年の母(年齢差から祖母のようにも見える)が営んでいて、壁は八十年代アパートの風呂を連想させるセメントと青いブロックのタイル、カウンターにはウミガメの剥製と、それにそっくりの常連客と思しきナイスミドルが一人居た。



ちょっとした世間話をしていると、先程少年と相対していた居間から怒鳴り声とも叫び声ともとれない唸り声が聞こえたので、急いで行ってみることにした。



そこには兄が突っ伏していた。



なぜここに兄がいて、怒鳴り声とも叫び声ともとれない唸り声をあげ、あまつさえ空手着を来ていたのかは理解に苦しんだが、兄は本当の苦しみに悶え、今にも腹の中のありとあらゆるエトセトラを吐き出してしまいそうだった。
どうやら兄は二日酔いのようだった。



「兄貴、ここじゃまずい。トイレに行こう。」



しかし僕にはトイレの場所など分かる筈もなく、例えトイレがあったとしても、兄にはトイレに向かいドアノブを回し便器の蓋を開けている程の悠長な時間は残されていなかった。



「時間は伸縮する」というのはアインシュタインの言葉だ。



やむ終えず縁側に向かい、そこから庭に向かってエトセトラを吐瀉して貰うことにした。
しかしどういう構造かは今も謎なのだが、縁側には網戸が一面に貼られており、縁側と庭は網戸一枚で仕切られていた。



言うまでもないことだが、兄には既に網戸を開ける程の時間も無ければ余力も残されていなかった。



兄は網戸目掛けて物凄い勢いで吐瀉した。主に赤、白、緑で構成された吐瀉物は網戸によってシャワー状に広がった。液状のものは庭に散布され、固形のものは跳ね返り縁側に飛び散った。



正に惨劇だった。
イタリアンもんじゃ焼きと言わんばかりのそれが、ジャパニーズログハウスと言わんばかりの縁側に場違いの異物として縦横無尽に横たわっていた。



辺りは燻製のような懐かしい匂いから、「初夏の昼下がりの生ゴミを彷彿とさせる腐ったヤドカリと、タイミングを見失った苦酸っぱいチーズを混ぜ合わせて更に発酵が進んだかのような吐瀉物」の臭いとなった。



兄は赤帯だった。

3 件のコメント:

  1. ジャパニーズグロハウスと化したわけですね!

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  2. 「時空」は伸縮する、と言った方が正しいね。

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