2013年10月1日火曜日

【宗義】鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。【鮭】

宗義です。




この際だから白状しておくが、僕は殆ど鮭フレークのことだけを考えて生きていた時期があった。




小学5年生。桜は散り、新しいクラスメイトにも馴染み始めた頃、
僕は狂ったように鮭フレークを食べていた。




鮭フレークがあれば、おかずは要らなかった。




ツナマヨならぬ、鮭マヨにしたこともあった。




それを納豆に投入して食べたこともあった。




なんなら白ご飯すら要らなくなった。






鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。






或いは食パンにはさんで食べた時もあった。




そこから着想を得て、更にチーズを載せて鮭フレークピザもつくった。




鮭フレークをクラッカーの上にのせ、片手にはワイングラスにスプライト。




さも立食パーティーでシャンパンとキャビアを食べるかのように食べた時もあった。






鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。





もはや鮭フレークを全身に塗りたくりたいくらいだった。




そして静かに目を瞑り、大海を泳ぎ、川を昇る鮭に想いを馳せたかった。




僕にとって鮭フレークは食事であり、おやつであり、イマジネーションの源であった。







鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。






歳月は鮭フレークへの情熱を無意識のうちに奪っていった。




ジブリの新作映画情報、競争が高まる受験戦争、
目の前に横たわる果てしない未来への期待と不安。




いつしか僕は鮭フレークのことをこれっぽっちも考えなくなっていた。







先日、北海道物産展で鮭フレークが売っていた。




北海道産の神聖な鮭である。(アイヌ民族は鮭を神の魚「カムイチュプ」と称えていた)




特に食べたいわけでもなかったが、まるで昔好きだったアーティストのCDをワゴンセールで見つけたみたいに、懐かしさ半分、記念品として鮭フレークを買って帰った。




夕食の準備が面倒で、外食するにも気分が乗らない夜、
ふと思い出して鮭フレークを冷蔵庫から出して、白ご飯の上にかけて、食べた。





鮭フレークが無くても僕は生きていく。





それでも僕は鮭フレークを食べ続けるのだろう。




まるで激流に抗う運命を受け入れ、互いが前を向いて始まりの場所を目指す雌雄の鮭のように。




そこに約束はいらない。依存でもない。あるのは鮭フレークと僕、それだけだ。




しかし忘れてはならない。あの情熱を。あの痛みを。あの素晴らしい愛を。




あの夏、僕は確かに、




鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。





2 件のコメント:

  1. そんな宗義さんには新潟 加島屋の鮭フレークをオススメしたい。
    ちょっとお高いけど、にやけちゃう美味しさ

    返信削除
  2. とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

    返信削除