宗義です。
この際だから白状しておくが、僕は殆ど鮭フレークのことだけを考えて生きていた時期があった。
小学5年生。桜は散り、新しいクラスメイトにも馴染み始めた頃、
僕は狂ったように鮭フレークを食べていた。
鮭フレークがあれば、おかずは要らなかった。
ツナマヨならぬ、鮭マヨにしたこともあった。
それを納豆に投入して食べたこともあった。
なんなら白ご飯すら要らなくなった。
鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。
或いは食パンにはさんで食べた時もあった。
そこから着想を得て、更にチーズを載せて鮭フレークピザもつくった。
鮭フレークをクラッカーの上にのせ、片手にはワイングラスにスプライト。
さも立食パーティーでシャンパンとキャビアを食べるかのように食べた時もあった。
鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。
もはや鮭フレークを全身に塗りたくりたいくらいだった。
そして静かに目を瞑り、大海を泳ぎ、川を昇る鮭に想いを馳せたかった。
僕にとって鮭フレークは食事であり、おやつであり、イマジネーションの源であった。
鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。
歳月は鮭フレークへの情熱を無意識のうちに奪っていった。
ジブリの新作映画情報、競争が高まる受験戦争、
目の前に横たわる果てしない未来への期待と不安。
いつしか僕は鮭フレークのことをこれっぽっちも考えなくなっていた。
先日、北海道物産展で鮭フレークが売っていた。
北海道産の神聖な鮭である。(アイヌ民族は鮭を神の魚「カムイチュプ」と称えていた)
特に食べたいわけでもなかったが、まるで昔好きだったアーティストのCDをワゴンセールで見つけたみたいに、懐かしさ半分、記念品として鮭フレークを買って帰った。
夕食の準備が面倒で、外食するにも気分が乗らない夜、
ふと思い出して鮭フレークを冷蔵庫から出して、白ご飯の上にかけて、食べた。
鮭フレークが無くても僕は生きていく。
それでも僕は鮭フレークを食べ続けるのだろう。
まるで激流に抗う運命を受け入れ、互いが前を向いて始まりの場所を目指す雌雄の鮭のように。
そこに約束はいらない。依存でもない。あるのは鮭フレークと僕、それだけだ。
しかし忘れてはならない。あの情熱を。あの痛みを。あの素晴らしい愛を。
あの夏、僕は確かに、
鮭フレークさえあれば生きていけると思っていた。
そんな宗義さんには新潟 加島屋の鮭フレークをオススメしたい。
返信削除ちょっとお高いけど、にやけちゃう美味しさ
とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!